映画「ビッグ・フィッシュ」あらすじと感想。ティム・バートン監督作品

エマ

ビッグ・フィッシュ、大好きです。
何度も繰り返し観ています(*^-^*)

ビッグ・フィッシュあらすじ【とある家族の物語】

主人公のウィル・ブルーム(ユアン・マクレガー)は、父エドワード・ブルームに不満を持っていた。
ウィルは父親の人生がどんなものだたのか本当の話を聞いたことがないのである。

ウィルにとって父親は「ビッグ・フィッシュ(大嘘つき)」だった。

それはウィルの結婚式でも披露されることになる。
結果的にウィルとエドワードは疎遠になってしまった。

しかしエドワードの病気が末期になったことで再びウィルとエドワードは交わるようになる。

以上が物語のあらましになります。
もう少し詳しく見てみましょう。

エドワードは偏屈な父親?

ティム・バートン監督の傑作「ビッグ・フィッシュ」

わたしが初めて見たとき、エドワードは誇張した物語ばかり話して、ウィルの気持ちに全く答えていない偏屈な親父だ、と言う印象を持ちました。

多分わたしに限らずこの映画を見た人のほとんどが同じ感想を持つかと思います。

それだけエドワードが語る自分の人生というのは荒唐無稽でとても現実のものとは思えないものばかりだったのです。

エドワードの話には常に尾ひれがついていて、ウィルはそれにとてももどかしい思いをしていました。

ウィルはこう言います。

「僕に子供が出来たとき(実際この時ウィルの奥さんは妊娠していた)、僕の父さんがどんな人だったのか。それをどのように話をしたらいいんだい?父さんは僕に数え切れない程の「物語」を聞かせてくれた。だけど本当のことは何1つ話してくれていない。父さんが悪人だったっていい。僕は本当の話が聞きたいんだ。」

しかしそれでもエドワードの態度は変わりません。

エドワードは「自分が嘘をついたことはない。そう感じるのはウィル、お前の問題だ」と言ってのけるのでした。

エドワードの最期が刻一刻と近づく

エドワードの看病を母親と交代で行うウィル。

苦悩するウィルに主治医、この人は昔からエドワードと関わりがあり、エドワードについてよく知っているのですが、そんな彼は見かねて自分の知っている真実のエドワードの話をします。

そしてこう言う。
「本当の話なんてこんなものさ。つまらないだろう?私はエドワードが話す物語の方が好きだがね。」

これを聞いたウィルは大事なことに気が付きます。
「父さんは嘘は付いていない、ようは聞くほうがその物語をどのようにとらえるか、だ。」

いよいよエドワードの最期が近づいてきます。
エドワードはウィルに「自分の最期がどうなるのか話して欲しい。」と言います。

しかしいろんな物語を言いてきたウィルでしたが、父親の最期については一度も聞いたことがなかったのです。

「父さん、僕はその話を一度も聞いたことがないんだ。」
苦悩の表情を浮かべるエドワード。

ウィルは決心する、父さんの最期の物語を自分が紡ごう、と

ウィルはエドワードに彼の最期がどうなるのかを語りました。
自分が得意な現実的な語り方ではなく、エドワード流の語り方で。

ウィルが話し終えたとき、エドワードの顔には満ち足りたような表情が浮かんでいました。

エドワードとのお別れの日、大勢が集まった

それはまさにエドワードがこれまで話していた物語の中に登場した人物たちでした。

数年後、ホームパーティーにて

数年後ウィルには子供が生まれていて、ホームパーティがひらかれていました。
嬉しそうに友達にエドワードの話をするウィルの子供。

その子供が話す内容はエドワードがウィルに話した物語そのものでした。
そう、ウィルはエドワード流の話し方を継承していたのです。

2人の主人公が紡ぐストーリー

この映画の素晴らしいところはストーリの後世だと思います。

上でウィルが主人公だと述べたが、本作品には主人公は2人います。
もう1人は若き日のエドワード・ブルームその人です。

エドワードが送った人生はとても華々しく、満月の夜に狼に変身する男、山奥にあるみんなが仲良く生活する集落、その集落に住む人魚などファンタジー色溢れるものです。

映画は現在のウィルの視点と過去のエドワードの視点とが交互に進行していきます。

エドワードのファンタジー色の物語がだんだん現実的にシフト

エドワードの人生は、私の主観ですが、後半になればなるほどだんだん現実的な方向にシフトしているように思えます。

これはエドワードが自分の最期を締めくくる物語を息子のウィルに託すためなんじゃないかと思います。

だから自分の最期についてだけは結局ウィルに語らなかったんじゃないかなと。

現実的な考えを好むウィルだから、ファンタジーに満ち溢れた物語のまま語り続けると最期の物語をウィルが紡げないかもしれないとエドワードは考えなんじゃないかな、かなり穿った見方だがわたしはそんなふうに思います。

大筋がウィルとエドワードを主軸に進んでいく中、随所随所に入ってくるエドワードと彼の奥さん、サンドラとの物語も印象的です。

物語終盤、バスルームでエドワードとサンドラが2人で語り合うシーンがあるのですが、それほど長いシーンでもないですが彼らの夫婦愛を印象的に描き出しています。

論理的で科学的=善だった価値観が崩れた瞬間

この映画を初めて見たのは大学生の時でした。

卒業論文を執筆するにあたって、文献を科学的に読むこと、論理的で科学的に正しい文章を書くように先生や先輩からずっと指導を受けていました。

エマ

もともと思い込みが強い性格だったわたしは論理的で科学的であることこそが善である、というように思うようになっていました。

その頃から小説をあまり読まなくなり、論文や専門書ばかり読むようになっていました。
小説という作り物を読んでなんになるのか、そういうふうに思うようになっていたのです。

そんな時、『ビッグ・フィッシュ』を見ました

ウィルと同じく、エドワードはなんで頑なに本当のことを話しないのだ、どこからどこまでが本当の話なんだとイラつきを感じたのを覚えています。

しかし物語の終盤、これもウィルと同じくエドワードの主治医の話を聞いて、それまでのかちかちに凝り固まった価値観が崩れました。

フィクションでもそれはそれとして楽しむことができるのだと思い直すことができたのです。

『ビッグ・フィッシュ』は大人にこそ見てほしい!

現実的でないこと、ファンタジーを楽しむことをもう1度思い出してもらえると思います。

わたし個人としてはまたターミナルケアという点からも価値ある作品でしょう。

最期が近づいて来る中で自分の人生を振り返り、最期の物語を自分の子孫に託し、それを紡いでもらう、なかなかいいのではないかな。

好きな映画はたくさんありますが、最初に見て涙を流した映画は数える程で、この映画はそんな映画の1つです。

ネタバレになるので伏せておきますが、この映画のタイトルである『Big Fish』は2つの意味を重ねて持っていて、映画の中でそれが映像的に表現されています。

それも見事だと思います。

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